ニュースレター第66号「研究の現場から」

グローバル化するチベット文明への視座 小西賢吾

2021/03/11 15:41
広報委員(宮嶋)

 筆者は2005年以来、チベット高原の東端部にあたる中国四川省シャルコク地方を主なフィールドに、チベットの「伝統宗教」ボン(ボン)教に関する研究を続けてきた。ボン教は、チベット高原へ仏教が伝来する以前からの歴史を持つとされ、仏教との複雑な相互関係を通じ、チベット・ヒマラヤ文明の形成に大きな役割を果たしてきた。チベット高原は、北・南・中央・東アジアと接続する文明の十字路であり、隣接地域からの影響と、高地特有の生態環境条件のもとで、独自の文明が育まれてきた。現代に伝えられるボン教のルーッはチベット高原西方の中央アジア方面にあるといわれる。ボン教研究は、文明が相互に交流しせめぎあう中で生きぬく人びとの最前線をとらえる非常に刺激的なテーマだと考えている。 

 とはいえ、現代のグローバル化のもとでは、特定の地理的条件や国境などで区切られた場としての地域のみが調査研究の対象になるわけではない。チベット高原の大半が20世紀中盤に中華人民共和国の支配下に入ったことに伴い、国外に脱出した人びとがインドをはじめとして世界中に拡散したことは広く知られている。筆者もまた、ボン教をめぐる地域をこえたネットワークに関心を持ち、そこに巻き込まれながら研究を進めてきた、その出発点となったのは、世界的なチベット学者として知られるサムテン・カルメイ先生との出会いであった。先生は筆者がフィールドとするシャルコク地方の出身であり、1950年代にインドへ脱出、その後ヨーロッパに拠点をおいて研究者として活動し、たびたび来日もされている。先生と京都で出会ったとき、チベットのフィールドと自分の生活空間をつなぐ不思議な縁を感じたものだった。 

 その縁をたどるようにして、筆者の研究は展開していった。シャルコク地方と周辺地域での調査が一段落した後、ヒマラヤの向こう側のインドを目指した。チベット仏教徒と同様に、ボン教徒もインドに活動拠点を形成している。ボン教教学の中心としての歴史を持つメンリ僧院は、中央チベットから北インドのヒマーチャル・プラデーシュ州ドランジにその機能を移し、西洋世界への窓口にもなってきた。現在の33代目ティジン(座主)がシャルコク地方出身ということもあり、現在でも多くの若い僧侶が四川からはるばる教えを学びにやってくる。かれらの多くは学問を修めて地元の僧院に戻ることを思い描く。スマートフォンで地元の家族や友人と頻繁に連絡をとりあう姿からは、「亡命」ということばではとらえきれない現代チベット社会のダイナミズムを感じることができる。 

 インドやネパールの僧院で学問を修め、英語にも通じた僧侶たちはヨーロッパやアメリカでも教えを説く。フランス、ロワール地方に設立されたボン教センターでは、世界から集まった人びとがラマ(師僧)の講義を聞き、瞑想などの実践を行っている。かれらになぜ(他のアジアの宗教ではなく)ボン教に惹きつけられたのかを問いかけると、長い伝承の歴史を持つこと、そしてラマとの縁があったから、という答えが返ってくる。宗教がその教義だけではなく、リアルな人間関係の中で地域や民族をこえて人びとをつないでいくことがわかる。 

 一方で中国に目を戻すと、近年北京や上海といった都市部の漢族社会で活動するボン教僧侶が増加している。改革開放以降に教育を受けた世代の僧侶は、流暢な漢語 

をあやつり、漢語で著作を出版することも少なくない。中国の学界でもボン教はチベットの「本上宗教」と位置づけられ、大規模な研究プロジェクトが展開されている。こうした動向は、中国におけるチベット文明のこれからを考える上でも非常に注目される。筆者は、ボン教との縁をたどることによって、期せずして多様な地点からチベット文明のダイナミズムをみることになった。今後研究をさらに発展させる中で、人びとの交流が地域をこえて加速度的に増加し多様化する現代をとらえるための比較文明学のかたちを模索していければと考えている。 

                                       (金沢星稜大学)