ニュースレター第65号「研究の現場から」

「玉」と「龍」が語る中国文明の起源 江義翔

2021/03/11 15:31
広報委員(宮嶋)

 これまで長い間、黄河流域が中国で唯一文明を育んだ所であるという、いわゆる黄河一元的文明起源史説が、中国文明史理解の定説とされてきた。その文明が次第に 

「黄河文明」、「中華文明」へと発展し、中国文明・中国の歴史の全体を貫いたと見なされている。 

 しかし、このような文明史観は、マルクス主義による社会の歴史的発展法則や中華大統一思想に立脚し形成されたに過ぎない。近年、中国における考古学的新発見により、黄河流域にとどまらず、黄河流域以外の幾つかの地域でも、新石器時代後期から青銅器時代にかけて、文明の起源と思われる活発な人類活動が展開されていたことが明らかになってきた。これにより、これまでの伝統的な黄河文明中心論は大きく揺り動かされた。近年、「長江文明」という概念が広く受け入れられつつあるのは、黄河文明に対峙する新たな中国文明史観が受け入れられた証左である。 

 筆者は、中国文明の起源に関するこれまでの定説、即ち黄河一元的文明起源史観に対する批判的検討をテーマとし、多元的な中国文明の起源史観に立脚し、特にかつては「夷」や「秋」と呼ばれた辺彊地帯である中国東北部に位置する古代遼河流域の文明誕生の究明及び黄河流域と異なる文明の特質の分析を行ってきた。 

 1980年代から、考古学的発掘事業が興隆するにつれ、遼河流域で大型の宗教祭祀や貴族墓の遺跡が続々と発見された。筆者が最も注目したのは、8000年前の興隆窪(こうりゅうわ)文化に始まり、その後約5000年の間に興った、趙宝溝(ちようほうこう)文化、紅山(こうさん)文化、小河沿(しょうがえん)文化、夏家店(かかてん)下層文化、夏家店上層文化と続く各文化の遺跡から大量の玉器や数多くの「龍」の造形物が発見されたことである。 

 中国大陸では、新石器時代から青銅器時代にかけ、玉器は神に通ずる「神器」や階級・秩序を象徴する「礼器」と崇められ、後の早期の「神政」や「工権」のシンボルとして、そのシステムの強化に使用された。この政治的、宗教的な意味を持った玉は、いわゆる「玉を以って礼をなす」という「玉礼」文化の誕生に深く関わり、初期の工朝で実行された「礼」の制度作りに重要な役割を果たしたのである。その意味で、玉は「玉を語らずして中国文明の起源を語れない」というほど、中国文明の起源に深く関わっている。 

 この玉器作りと使用が始まったのは、古代の遼河流域が最も早く、黄河流域より2000年ほど早いと見られる。これは8000年前の興隆窪文化の集落遺跡から、高度な技術で作製されたと見られる中国最古の玉器が出土したことから明らかになった。さらに、今から約5000年前から青銅器時代にかけて、玉器作りの技術の伝播と交流が盛んに行われるようになり、遼河流域をはじめ、黄河と長江流域に至るまで、地域特有の精神文化と結びついた玉文化盛隆の時代を迎えた。その中で、遼河流域から黄河 

流域に伝播したと見られる「玉龍」と呼ばれる玉器は巾国文明の起源に関わる重要なものとして注目を集めている。「玉龍」は、紅山文化に見られる「龍」の形を彫った玉器の造形物で、5000年前の遼河流域で「玉」崇拝と「龍」信仰が一体化していたことを反映するものである。 

 龍崇拝の文化は遼河流域のものが最も古く、興隆窪文化とその後の各文化の遺跡から「龍」を表現する造形物が数多く確認され、玉だけでなく、「龍」も信仰対象、神権の象徴とされていたことが明らかになった。「龍」は巾国文明のシンボルであり、「龍」の起源を探究することは、中国文明の源流を辿ることにほかならない。 

 以上のように、紅山文化の「玉龍」が黄河流域に玉器技術と共に伝播され、龍崇拝の観念も黄河流域へもたらされた。黄河流域の二里頭文化時代に誕生した初期の王朝権力を象徴するものとして出現した「龍」を象った玉璋や玉刀、並びに河南省安陽の股嘘婦好墓遺跡から出土した映状の「玉龍」は、その前身となる紅山文化時代の 

「玉龍」の影響を受けて発展したと見られる。さらに、近年、股櫨婦好墓出土の「玉龍」と甲骨文の「龍」字との形象の面での特徴が殆ど一致していることも明らかにされ、中国文明起源と見なされる指標の一つである文字の起源においても「玉龍」文化の重要性が窺える。 

 「玉」と「龍」を中国文明の特徴としてとらえて多元的な中国文明の起源を探究するためには、遼河流域の「玉龍」の徹底解明が今後の課題である。 

                                         (東京理科大学)