ニュースレター第73号巻頭言

新型コロナウイルス感染症と比較文明学 鬼頭宏

2021/03/10 20:05
広報委員(宮嶋)

 歴史人口学の立場から新型コロナウイルス感染症の感染者数を追跡してきた「目撃談」を紹介したい。私が追跡調査を開始したのは2月25日だった。厚生労働省が発表する都道府県別の累積感染者数が、人口密度と関係するのではないかと考えて、この日から統計を作りはじめた。1ヶ月のうちに都道府県別の分布は急速に右上がりになっていった。そして3月28日(感染者数1,647人)には、人口密度が高い都道府県ほど、人口10万人あたりの感染者数が多いという傾向が1%水準で有意であることを示すようになった。その後もこの傾向は強まっており、4月下旬からは高い相関 

係数で推移している。 

 この観察事実が意味することは明快だ。新型コロナウイルス感染症が、人口密度依存型の疾病であるということである。要するに人混みが生まれやすい大都市は危険だということであり、感染予防策として「3密」の回避やソーシャル・ディスタンシングが強調されたことは正鵠をえている。このようなことについて、現代人はすっかり忘れていたのではないだろうか。 

 歴史人口学を学ぶ者にとって、「都市≡墓場」説や「都市=アリ地獄」説は馴染み深い概念である。19世紀までの都市は農村と比べて死亡率が高い、危険な場所であった。『クリスマスキャロル』のロンドン、「レ・ミゼラブル』のパリは人が密集していただけではなく、ゴミ、動物の死骸、尿尿にまみれた大都市だった。『東海道四谷怪談』の江戸は緑が多く、「庭園都市」ともよばれ、この面ではいくらかお行儀が良いようだ。それでも人口の半分が、15%の土地にひしめく町人地の人口密度は、現在日本一の人工密度の東京都豊島区の3倍もあった。感染症に関する知識も医薬もなく、滅菌した上水道も存在しない。産業革命期頃までの都市では、死亡率が出生率を上回るのが常態だった。「都市≡墓場」説を生み出した状況から脱出するのは、日本では日清・日露戦争の頃である。コロナ禍は、まさに歴史の逆回転を見るようだ。 

 コロナ後の世界をどのように構築するかが問われている。ワクチンや治療薬の開発が急がれ、「新しい生活様式」が提唱されている。「ウイ.ズ・コロナ」も提唱されているが、はたして並立可能なのだろうか。「ウイズ・コロナ」とはウイルスに対する集団免疫を身につけて、手なづけることではないだろう。われわれはグローバル化、過剰な開発、地球温暖化によって、常に新興感染症、再興感染症の危険にさらされている。医薬の素早い適応によって、特定の病原体に対して免疫を獲得できたとしても、病原体は変異し、あるいは新種の病原体が生まれてくるだろう。そうであるならば、コロナウイルスに限らず、あらゆる微生物との共存を前提とした生態系の秩序を維持しながら、感染機会を可能な限り低減するような住まい方、働き方、移動の仕方へと行動を変えていかなければならない。「新しい生活様式」といったマナーや生活習慣程度の行動変容では済まないのである。 

 新型コロナウイルス感染症問題が、医学や公衆衛生学の枠を乗り越えて、経済学や経営学はもちろんのこと、文化、文明の立場から広く論じられていることは大変心強い。われわれは新石器文明以降、第5の文明に向かいつつあるからだ。産業革命以来、人類が実現してきた繁栄が、人類の存在を脅かすようになっていることへの反省からSDGsが生まれた。この度のコロナ禍のもとで、学校も職場もICTを利用したテレワークや遠隔授業に取り組まざるを得なかった。再生可能エネルギーへの転換、多極分散型の国土形成など、他の側面においてもさまざまな試みが提案されている。コロナ前の日常に戻すのではなく、コロナ禍を奇貨として、新しい文明の構築に取り組むことを提案したい。 

                                                   (静岡県立大学)