ニュースレター第62号「研究の現場から」

文明間の交流から再考する新大陸 吉田晃章

2016/06/01 16:12
広報委員(宮嶋)

 

 

 現在のフィールドであるメキシコ西部地域との出会いは、今からおよそ20 年前グアダラハラ大学が中心となって行うサユラ盆地考古学プロジェクトに加わったことに始まった。発掘調査が実施されたのは、セロ・デ・アグア・エスコンディーダという竪坑墓を含む遺跡であった。竪坑墓とは、地下に造られるブーツ型の墓のことであり、数メートルの竪穴に水平墓室がついたもので、その起源は西部地域で紀元前300 年頃まで遡さかのぼる。いつか同地域でまた調査ができればと思っていたが、今年度より科学研究費の助成を受けて調査を開始することとなった。調査地はメキシコ第二の都市グアダラハラから60km ほど離れたサユラ盆地から太平洋岸にかけてであり、キルヒホフがメキシコ西部と命名した地域に位置している。 

 ところでメキシコの遺跡調査で層位的な発掘が導入されたのは1910 年代であり、30 年から40 年代は、基本的な土器の編年が徐々に確立していく。その頃、1943 年にキルヒホフによって、先スペイン期における中米の文化領域の名称として「メソアメリカ」という術語が提唱された。さらにキルヒホフは、1946 年メキシコ西部コリマ州と南米の文化的類似を認めている。遡れば1930年代にディッセルホフもメキシコ西部とコロンビア、エクアドル間の関係を指摘した。このようにメソアメリカとアンデスの文明間の交流が、文明の設定に前後して論じられてきたことは注目に値する。 

 最近のメソアメリカ研究は科学的技法を駆使し、細分化され専門化が進んだ。調査で他の同業者に会うと必ず、専門は石器なのか土器なのか、骨か、植物かと聞かれる。遺物でなければ、どのような機械を用いるスペシャリストかとたずねられる。学問領域の専門化が進むと同時に文明内部の研究に焦点が絞られてしまい、文明間の交流がいかに行われてきたのかという、領域を超えた研究視点が徐々に失われてきているように感じる。本学会で小特集が組まれたジャレド・ダイアモンド氏は、新大陸が南北に長いことにより、南北アメリカ大陸間の文化伝播が困難な状況に置かれたことを指摘しており、この傾向に拍車をかける。いずれにせよ、新大陸に興った文明がどのように交流をしたのかという視点が、過小評価されてきている気がしてならない。 

 しかしトウモロコシをはじめとする栽培種や動物種、土器や銅製品など、メキシコ西部は紀元前から南米北西岸地域と文化的社会的交流があったことが知られているのである。調査地域に分布するブーツ型をした竪坑墓も両地域の交流を示すものだと考えられている。現地調査を行いながら新大陸の諸文明間の交流を考え、南北アメリカの文明の盛衰にどのような影響を与えたのか、また文明相互の交流の様相を解明していきたい。 

(東海大学)