ニュースレター第58号巻頭言

「ともいき」の文明は可能か 阿部珠理

2013/02/01 11:16
広報委員(梅原)

 20世紀の終わりから、「共生」という概念がもてはやされ、さかんに言挙げされるようになった。共生をテーマにした本、雑誌の特集の数は夥しく、小学校の総合教育においても格好の学習テーマとなった。 

 1985年に発売され、世界で2000万枚を売り上げたWe are the worldはこの時代のモードとムードをよく映していた。今は亡きマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共同で作詞・作曲したこの曲は、アフリカの飢餓と貧困を救うため結集した歌手たち─USA for AfricaがライブとCDの売り上げのすべてをその目的のために寄付するというものだった。レコーディングにはウィリー・ネルソン、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、シンディー・ローパーなど、カントリーからロックまで、まさに綺羅星のようなスターたち総勢45名が集って、the world must come together「世界はひとつ」という強いメッセージを熱唱した。 

 USA for Africaは社会現象となって、先進諸国の人たちの貧国地帯への寄付が急増した。日本でも芸能人が中心になった同種の企画に日本テレビの「愛は地球を救う」がある。年に一度放映され、視聴者から寄せられた寄付金を、国内外の福祉・環境・災害援助活動に役立てる。 

 このような互助や他者愛の実践には、平たく言えば世界は一つ、人類は兄弟という「ともに生きる」思想の普及がある。西欧のフィランソロピーやノブリス・オブリージュ、日本の悲田院など、慈善や福祉の歴史は長い。しかし上から目線の弱者救済とは異なる「共生思想」が、20世紀後半に結晶化する直接的な動因は二つある。ひとつは、近代から続く経済効率優先の施策が招いた環境破壊、もうひとつは、近代の競覇的イデオロギーの実践が招いた南北問題であろう。 

 1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、自然破壊への深刻な警告として世界に受け入れられ、1972年ローマクラブの『成長の限界』は、過度に消費資本主義的なライフスタイルがもたらす持続不可能性を指摘した。自然を失うことは、人間生命への脅威であり、人と自然の共生は、人類にとって不可避的に重要であることが認識されるようになった。 

 南北問題に象徴的な貧困と格差の問題は、グローバル経済がむしろ問題を深刻化させてはいるが、21世紀的問題として、先進国内の貧困・格差は、見えない病のようにそれぞれの社会に浸潤している。これは、「人権・平等」という近代の希望のイデオロギーを退行させる現象である。フランスの社会学者ピエール・ブルデューの文化的再生産論が鮮やかに示したように、大学受験一つとっても、「機会の平等」の背後に潜んでいた階層間格差は、今や覆い隠しようもない。親の学歴や社会的地位、財産といった子の育つ環境や出自、いわゆる「お育ち」が文化資本化して、受験の結果に明白に反映する。日本でも東京大学入学者の親の学歴や地位の高さは、社会階層論の証明するところである。 

 社会全体に市場原理を適用しようとする新自由主義が日本でも跋扈して、ヒットラーの演説を彷彿とさせたかつての首相が進めた規制緩和は、「自民党をぶっ壊す」のではなく、日本をぶっ壊しつつある。非正規雇用の拡大は、階層間経済格差を広げるばかりか、階層格差を固定する。資本は都市に集中し、地方は活力を失い、限界集落は増える一方である。有効なセーフティネットの施策なしに市場原理に任せれば、弱肉強食が横行することは、歴史からすでに学んでいたはずであった。「一億総中流化」がノスタルジーを持って語られるのは時間の問題であろう。増大する貧困層、社会に沈殿する不公平感や憤りは、人と人の共生を難しくする。共生のかけ声とは裏腹に、実は世界はともに生きることが困難な時代を迎えているのだ。 

 「ともいき」の世界を実現する方策はあるのだろうか。世界的宗教社会学者ロバート・ベラーは、先日の日本での講演でかつての自説Universal Religionに替わって、Universal World Orderの重要性を提唱していた。すべての人類に共通する善なる意識、誤解を恐れずに言えば、普遍的人間倫理の共有がともに生きられる世界の創出につながると言う。 

 先住民研究者の立場から見ると、それぞれの民族文化は固有の民族の智慧を有する。この風土に根ざした智慧、鎌田東二の「生態智」とも通じるローカルな民族智は、その基底に共通の善なるものを持っている。それぞれの智慧は、絶対幸福なる絶対多数者のともに生きる社会を目指しているからだ。ローカルなものの総和がユニヴァーサルな価値を生み、それが大多数者に共有されることは、時空の短縮した現代世界における可能性であるかもしれない。 

 その道筋を考えるのは、過去の文明の盛衰から学び、現代文明を検証し、人類がともに生きる未来文明を展望できる比較文明学にとって、最適な課題と思われる。 

 

(立教大学)