ニュースレター第56号巻頭言

「総合知」としての比較文明学の構築 ─会長就任挨拶にかえて─ 松本亮三

2012/02/01 10:51
広報委員(梅原)

 2011年3月、私はメキシコに滞在しており、古代マヤ文明の調査を行っていた。現地時間の3月11日未明、東日本全域を強い地震が襲い、子供たちとも連絡が取れないという知らせを妻から受けた。あわててテレビを点けると、日本の地震と津波の様子が映し出されていた。かつて秦野市で同じ演壇に立った、「まちづくり」のカリスマとして高名な溝口久さんからもすぐにメールが来た。「今、日本は歴史上、最大の地震の災害にあっています。根こそぎ、町が津波によって壊されてゆきます。あっという間に人間が何百年掛けてつくりあげてきた町を…。」日本の惨状が伝わってきた。その後すぐ、福島第一原子力発電所が水素爆発を起こしたという知らせが届き、CNNは放射性物質の拡散を中心に、日本で起こった未曾有の大惨事のニュースを連日放送し続けることとなった。 

 日本に帰国したのは3月20日であった。このころ私が痛切に感じたのは、そして今も思い続けているのは、人類文明は、自然を制圧することも封じ込めることも絶対にできない、ということであり、また、それができるという過信を抱いては、決してならないということであった。 

 『旧約聖書』の創世記には、天地創造の第6日目、神は自らにかたどって創造した人を祝福して、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(1.28:新共同訳)と言ったと語られている。この自然支配の論理は、「科学+技術」という西欧近代の特異な結合体を、あたかも「普遍的なもの」として展開させる基礎として生き続けた。その結果、大地も生き物も疲弊しつくした。火山の噴火、土石流、地震、津波など、凄まじい自然の営力を、各地で何度も体験しながらも、「不都合な真実」はすぐに忘却の淵に追いやられ、西洋近代の洗礼を受けた世界中の人々—我々—は、自然を支配できるという妄想を抱き続けた。人とはオポチュニストだったのである。 

 事態を一層深刻にしたのは、人類が、核という、第2の「プロメテウスの火」を手に入れたことであった。燃料棒という、いわば小さな「恒星」を鋼鉄の容器に完全に封じ込めて支配できるという幻想をもったことである。しかし、今回の大震災によって、原子の火は、人類が統御できるものではなく、「神々の火」であったことを、改めて思い知らされることになった。「神々の火」は、神々の世界、すなわち自然と宇宙の摂理の中にあり、人類が自然を完全に統御する能力をもっていなかったことを明らかにした、と言ってよい。 

 人類も、人類の営為全体としての文明も、自然の、言い換えれば宇宙の進化過程の中で誕生し、発達してきたものだったと考えなければならない。宇宙の生成は137億年前に遡る。地球は約46億年前に生まれ、40億年前ごろ、最初の生命を誕生させた。人類は、これに続く生命進化の過程の中で700万年前に出現し、我々ホモ・サピエンスの直接の祖先が誕生したのは約20万年前のことでしかない。ホモ・サピエンスには大きく複雑な脳が「与えられ」ており、文明を発達させ、文明は自然や宇宙に勝る力をもつと過信するに至った。 

 人類が作り上げた文明が、宇宙の進化過程の中で形成されたものである以上、文明と自然(宇宙)を対立するものとして考えてはならないことは、明らかであろう。このことは、人類の文化・社会・文明を自然と分離して考察することを否定するものではない。文明は、ひとつのシステムであり、人文社会科学的方法で理解することは可能である。だが、文明は人類営為、つまり、人間生活の全体そのものであり、その文化的・社会的及び物質的な在り様を個々の局面に分断して理解しようとしてきた、従前の、19世紀的ディシプリンで解明できるものでないことは、言うまでもない。この意味で、人文社会科学全体を融合しようという試みは確かに進展してきたが、もう一度根本に帰らなければならないだろう。 

 比較文明学の主題は、単に古今東西の文明現象を比較考察するという学問至上主義ではない。分析と回顧を超えて、新たな文明を築くという実践的志向こそが、その主題であると考えなければならない。比較文明学に今必要なのは、今後の文明を構築するための、新しい知の構築である。自然・人文・社会の諸科学が各々の領域を守ったまま連携することではなく、これらを融合して形成されるべき「総合知」という新しいパラダイムを構築することに、その意義があると考えなければならない。会員各位の自由な研究と論議を尊重しつつ、新しい、望むらくは、自然科学分野の研究者あるいはそれに関心をもつ一般の人々の参加を仰ぎながら、本学会が、狭隘な学問分野を超えて、あらゆる既成の諸学を貫く「総合知」を作り上げる、革新的な学会となるように、その基本的環境を整備することが必要であると思われる。これを成就し、その成果を醸成すべく、私は、会長として与えられた3年間の間、全力で努力する所存である。会員各位のご協力をお願いしたい。 

 

(東海大学観光学部)