ニュースレター第55号巻頭言

文化と文明の定義を瞥見して 服部研二

2011/12/17 23:03
広報委員(宮嶋)

 先日、通勤電車で、たまたま高校生が私の座席の隣に座った。彼女は世界史の教科書を広げ、読み始めた。ふと、開いているページに目をやると、「文化から文明へ」という小見出しが見える。それを眺めていて思い出したことがあった。 

 私は、子供の頃から、作文をするとき、文化もしくは文明という言葉を使用しなければならない状況が生じると、しばしばどちらを使用すべきか迷ってしまった。どちらでもよいように思えるときもあれば、いずれか一方でないとすわりが悪いように思えるときもあった。しかし、いずれの場合も、確信をもてないことがよくあったのだ。高校生になると、世界史の教科書に、文字が発明され、金属器が使用され、都市が造られるような、文化のより発達した段階を文明という、というような説明があった。それで、一応、私はこの問題に終止符を打った。迷うことがなくなったわけではないけれど、当時、もっとよい説明に出会わなかったからだ。そんなことを思い出したのである。 

 その後、学生時代に、私は、“The Island Civilizations of Polynesia” という本を読んだ。タイトルにcivilizationsという単語が使われているのは、ちょっとした驚きだった。その本で描かれているのは、ヨーロッパ人との接触以前のポリネシア人の世界であって、文字も金属器もなく、石器を利用した生活をしていた時代だったからだ。私は、このような場合にも、civilization を使用することが可能であることを知ったのである。 

 そんなわけで、久しぶりに高校の教科書を目にした私は、ちょっと気になったのでいくつかの教科書に当たってみた。すると、文化・文明の説明は、教科書によって微妙に異なっていたが、いずれも、文明は時間的に後に来るものとされているようだ。ある教科書は、文化とは精神的活動とその成果をさす用語であり、文明とは技術的・物質的側面を重視し、それらが高度に発達した状態をさす用語とする。また、ラテン語の語源にこだわり、それぞれの土地の自然環境で培われた生活様式が文化であり、都市の成立と、そのような人工環境での生活様式を文明とよぶとする教科書もある。これらの説明は、わかったようで、なにかすっきりしないように私には思われる。 

 文化と文明の定義については、この会報でも、何度か目にした。たとえば祖父江孝男氏は、それらの定義についていくつかの流れを概観した上で、梅棹忠夫氏などによる定義を批判している。梅棹氏は、よく知られているように文明をシステムとしてとらえ、人間=装置・制度系を文明とよんだ。文化は文明の一側面であり、文明の見取り図にすぎず、その精神的抽象であるという。だが、祖父江氏によれば、このような意味での文化は、英米の人類学者の間にすでにそれに該当する言葉がある。したがって、梅棹氏な 

どの用法は混乱を招き、国際的なコミュニケーションを阻害しやすいという。 

 しかし、それでは、cultureやcivilizationの定義が欧米では明確かといえば、必ずしもそうではない。実際、トインビーやハンチントンなど文明を扱った著者は、いずれも、文化・文明を独自に定義している。F.ブローデルによると、フランスでは、現代的な意味でのcivilisation という最初の表現は、1752 年のテュルゴーによるものという。そして公式の印刷物としては、1756 年に初めて、革命の雄弁家ミラボーの父の著作に登場した。civilisation は、フランスからヨーロッパ各国に広まったらしいが、その間に、それはcultureとほぼ同じ意味になった。1830 年、ヘーゲルは、ベルリン大学で両語を区別せずに使ったという。英語でも、人類学者のE. B.タイラーによる文化についての有名な定義(1871 年)は、‘Culture or Civilization. . .’ となっており、両語を同義のものとみなしていたと思われる。やがて、両語は区別されるようになったが十分に明確ではないし、国によっても精神的か物質的かの意味合いが異なっている場合もある。 

 文化や文明の定義は、やはりなかなか難しい。ただ、私は、梅棹氏による文化・文明の定義はよく考えられていると思う。基本的に、文明の研究という点で、文化・文明を共時的とみなすのは都合がよい。通時的な文化・文明の考え方は、初期の文化進化論の影響があったと思われる。そのために文明の基準に無理が生じていた。実際には、石器を使用する文明、あるいは文字や都市のない文明があってもよいのだ。また、文明をシステムとみなす観点から、興味深い発想も生まれる。たとえば杉田繁治氏は、文化は文明の文法であると、両者の関係を鮮やかに表現した。なによりも、梅棹氏の考え方は、宇宙史の展開の中で文明を考察すると 

いう、より普遍的な視点にもとづいていることが重要だ。 

 ふとしたことから、あらためて文化・文明の定義のいくつかを瞥見し、若干の感想を述べた次第である。 

 

(香蘭女子短期大学教授)